1.
僕は公園が好きだ。
昼下がり、だいたい午後三時頃の公園が好きだ。
今日はよく晴れていて青空が広がっており、心地良い風も吹いている。公園の中は沢山の人で溢れていた。
バスケットボールで戯れる男子小学生や犬の散歩に来た老夫婦、バドミントンをやっている親子など、観察するには丁度いい日だった。
2.
僕は別に絵を描くわけでも詩を嗜むわけでもない、ただの一般人だ。
ただ単に趣味が『ヒューマンウォッチング』なだけであり、それ以上でもそれ以下でもない。
あの二人はここに来るまで何をして、この後何をするのかだとか、そう言うくだらないことを考えるのが好きなだけだ。
3.
どれほど時間が経っただろう、どれほどの人々を観察してきただろう。気が付けば太陽は沈みかけ、公園の人口も減ってきた。
僕が今日観察していた人間は殆ど居なくなっていた。
――対面のベンチに座る読書をしている女性を除いては。
4.
彼女は少なくとも僕がここに座るまでには公園に居たし、僕が二度トイレに立った時も変わらずそこに居た。
ずっと、ずうっと本を読んでいるのである。公園の喧騒を物ともせず、誰にも邪魔されずに一人で本を読んでいるのだ。
興味深いな、と思った。
5.
見た目は大学生、ミディアムストレートの黒髪が日に透けていて、それでいて少し不健康そうな身体をしている。拒食症とまではいかずともスリムと言えるかと聞かれると誰もが難しい顔をするだろう。
この季節に似つかわしくない長袖のシャツを着ているのはおそらく日に焼けるのを少しでも避けるためだろう。
6.
それほど、彼女は脆く強風でも吹けば一気に崩れ去りそうな見た目をしていた。
それでも、未だに本を読み続けている、数時間かけて、僕がこの公園に飽きるまでの間ずっと読み続けていたのだ。
いつかは区切りがついて帰るだろう、その頃合いを見計らって僕も帰ろうと思う。
7.
……などと思ってから、一時間ほど経過した。彼女は一向に帰る気配を見せない。
小休止だ、と自分に言い聞かせて自動販売機でジュースを買う。夏の日差しは少しずつ僕の喉をじりじりと焼いていく。
戻ってきた頃にはもう居なくなってるかもしれないな、とペットボトルを飲み干しゴミ箱に捨てベンチに戻るとまだ彼女は本を読んでいた。
やれやれ、と僕はわざとらしいため息をつきながら再び公園に目を落とした。
視線のどこかに彼女を置いておきながら、僕は公園を再び見渡した。
8.
涼しくなってきたからだろうか。公園に出入りする人の層が変わってきた。
木陰を求めるわけではなく、むしろ落ち行く太陽を求めるように人は動いていく。これもまた面白いものだ。
あれほど昼間は木陰に逃げておきながら、太陽が隠れようものなら自ら追いに行くのだから。
9.
そんなことを考えているうちに視線のうちに彼女を置いておくのを忘れてしまった。数秒、いや数十秒ほどだろうか。気が付くと彼女はベンチには居なくなっていた。
「……幽霊でも見てた気分だ」
一人で呟くと、クスクスと笑い声が後ろから聞こえてきた。
10.
「ちゃんと実体はありますよ」
振り返ると先程まで向かい側のベンチに居た彼女が後ろに立っていた。
思わずびっくりして飛び上がりそうになるのを堪えて冷静に「それはよかった、こんにちは」と返す。
「えぇ、こんにちは」と彼女は笑う。
11.
「隣座っても?」と彼女が問うので「どうぞ」と返し、少し腰を横にずらす。
「珍しいこともあるんですね」と彼女は言う。
「珍しいこと?」
彼女は笑いながら「ヒューマンウォッチング」と小声で話した。
「よくわかりましたね」
「私も〈聴いて〉ましたから」
そう言って彼女はまた笑う。
12.
「〈聴く〉?」
「えぇ、貴方は〈見る〉んでしょう?私は〈聴く〉んです。声や音からどんな性格なんだろうとか、何をしているんだろうって」
しかし、聴くにしても人間読むのと聴くのを同時に行うのは難しいだろう。
そう思った途端に彼女は読んでいた本を手渡してきた。
13.
正確に言うと〈読む〉ではなく、〈見る〉なのかもしれないなと僕はその本を見て思った。
表紙から何から、全てのページが白紙なのだ。
「……これはフェイクの為?」
「そう思われても仕方ありませんね、でもそうじゃないんですよ」
そう彼女は語る、僕は耳を傾ける。
14.
「私、その場で物語を作るのが好きなんです。〈聴いた〉物から組み立てて、一冊の本に見立てる、と言った風に」
だから、と言いながらページを捲る。
「こうやって、ページを捲るのは至極普通のことなんですよ」
「なるほど、そう言う楽しみ方もあるのか」
「えぇ、あるみたいです」
15.
僕は試しに公園に響く音を聴いて、ページを捲ってみる。
「実感がわかない」
「最初はみんなそんなもんですよ」
それもそうか、と納得する。
16.
「……ところで、私のこともずっと見てたんですよね?」と彼女が尋ねるので「あぁ、見てたな」と僕は返す。
「どんな風に見えました?」
「小説を読んでるそこら辺に居そうな、もう少し食べた方が良さそうな女子大学生、だな」と思ったままのことを返す。
「本は栄養にならないので」
「そして音も栄養にはならない」
彼女はまた笑う。柔らかい笑顔だ。
17.
「僕は〈聴き〉ごたえはなかっただろう?」と問うと「そうでもないですよ」と返される。
どうしてだ?と聞こうとすると「人は自分では気が付かないうちに色々な音を出しているんですよ。立った時、歩いた時、自動販売機で買う音や飲む音、それに――」
「わかった、わかったからそれ以上は言わなくていい」
僕はとっさに彼女の言葉を止めた。これ以上今日の行動について語られるのはなんだかこそばゆいからだ。
18.
「今日の分は〈読み〉終わりましたし、私はそろそろ帰ります。それでは」
そう言うと彼女はベンチを立つ。白いロングスカートがふわりと花を咲かせるようだった。
彼女が見えなくなるまで〈見〉続けて、ようやく視線を公園に戻すと、人は誰も居なくなっていた。
19.
気が付けばそのまま一時間は経過してただろうか。すっかり日が暮れていた。
「さて、帰るか」と一人で呟きベンチを立とうとすると、パサッと本が落ちた。彼女の持っていた『白紙の本』だ。
やれやれ、これじゃ明日も公園に来る羽目になるだろうと苦笑いしながら本を丁寧に鞄にしまう。
20.
次の日も公園のベンチで昼過ぎから座る。今日は観察ではない。
「こんにちは。持ってきてくれたんですね」と彼女は隣に座る。
21.
おしまい。